せとうちのそこのそこ

やったー!! これでまた新たな古備前が出てくるぞ〜!!(不謹慎かも)笑

期待してた「一昨日丸」が発進しました。

「一昨日丸」とは、日比野克彦さんによる瀬戸内海で海底探査美術館なるプロジェクト。

このプロジェクトは美術的には色々な解釈などがあるのでしょうが、

一愛陶家としましては、眠れる陶磁器の発見に今から胸躍らせています。

瀬戸内海の海中は世界でも珍しく、がもうもうと舞ってる視界ゼロの海

今もどんどん川からの砂が堆積中で、それは百数十メートルにものぼるという。

ここ掘れわんわん状態ですね(笑)貴重な文化資料が無菌パックされている、、、

備前焼の歴史的発見の最たるものが、直島沖の海底で発見された「海揚がり」。

  日比野さんの言われる「一つの破片からの物語」は多くの物語を運んでくれそうww

先日、伊部に行きましたので久しぶりに寄りたくなったのです。

私の師匠が独立前に窯焚きのアルバイトをしていた窯に。

この窯は登り窯です。当時は月二回の窯焚きがあったようです。


 

指導監は伝説の藤原建先生。

多くの窯焚き技法があり、備前の発展、追求に寄与された藤原建先生に窯焚きを教わった事を師匠も終生誇りにされていました。

現在この窯は使われておりませんが、陶工達の熱い息吹をいつも感じさせていただく窯の一つです。

「焼締め陶」宣言


いつの頃からか名付けられた名称の「焼締め陶」ではあります。

しかし、「焼締め」の明確な定義は皆無です。

ものごとに名前を付けるという事の意味は、そのものに特別な「意味、理念、思想」があって、

他と特別に「区別をしたい、からという

観る側の「意図、意思」があって成り立つ事です。

ですから、名付け親は「名前が無いと不便だから」、

という単純な理由でこの名称を思いついたのでは無いと思います、、、。

しかし、

その言葉が生まれた時の背景は、今では誰も知る由もありません。

 

私見ではあります。

唐津、志野、萩、楽、等々、、

 

どこが焼締めでは無いのか?

 

全部「焼締め」じゃろ〜っ、

 

絢爛たる日本国の焼締め文化の本質を探求していきたい。