「ひよせ」の採掘
備前焼で使われる
田土(ひよせ)は
世界遺産、人類の遺産です。
先ず、この備前というあまりにも狭く限られた地域に世界でも類例を見ないありとあらゆる多種多様な土が産出する、という奇跡。普通ここまで違う性質の土が隣り合うようにして存在する事はあり得ません。
隣の田んぼとこっちの田んぼでは全く違う性質の土。地球規模で見ればミリ単位で違う土があると言っても大げさではないでしょう。
その多種多様な土の存在が多様な作家、作風を産み出してきました。作家一人一人の
備前焼観が様々なのも、この土の多様性のためです。
また、「ひよせ」は備前焼にとって革命的な還元焼成というモノを発見させるに至ります。
その事によって世界で
「類例をみない焼締め陶」に備前焼を進化させていったのです。
備前焼のような複雑怪異な焼成状況、焼成過程を経て陶器となる焼き物は
焼締め陶ならではの醍醐味。それもこれも
「ひよせ」の存在が無ければ発見され得なかった事。
どう考えても世界遺産だ〜
posted byhiromitsu 2011年10月4日12:50|category:blog|コメント(0)
「銀花」1978 春
汚名である。
備前の数ある
名品を産み出した(笑)
贋作師のなかで名誉か皮肉か歴史に名を残してしまうであろう
伊原のおっちゃんは異彩を放つ。
伊原のおっちゃんの所には弟子の頃から師匠に連れられてよく遊びに行ってました。
行けば毎回、今取り組んでいる焼き物の話の弾丸トーク炸裂。伊原節炸裂で、、
聞かされたこちらはへとへとになってました。(笑)
伊原光太郎さんは古陶に魅せられ憑かれるように焼き物を作り始め、古陶と見紛うものを作ってしまった天才。
「
小山富士夫も窯の構造や焚き方をしつこう尋ねて来るけんのう参ったの〜」
「
伊部の陶工は窯んなかぁ汚しすぎじゃ」「
小せい窯をぎょうさん焚けぇ」等々名言多数!
ただ作ってただけなのに、売る気さえなっかたのに
骨董屋が「
古物です」、とおっちゃんの作った物を売りさばいたばかりに
「備前はもう飽きたから唐津なんかに挑戦しとんじゃ」と少年のようにキラキラの目をしてた。
贋物は看る者が看たら一瞬で解る。あのなんとも言えない不気味さ。
おっちゃんの作るものには全くそれが無かったなぁ
posted byhiromitsu 2011年9月27日08:07|category:blog|コメント(0)
先日、伊部に行きましたので久しぶりに寄りたくなったのです。
私の師匠が独立前に窯焚きのアルバイトをしていた窯に。
この窯は登り窯です。当時は月二回の窯焚きがあったようです。
指導監は伝説の藤原建先生。
多くの窯焚き技法があり、備前の発展、追求に寄与された藤原建先生に窯焚きを教わった事を師匠も終生誇りにされていました。
現在この窯は使われておりませんが、陶工達の熱い息吹をいつも感じさせていただく窯の一つです。
posted byhiromitsu 2011年9月12日18:23|category:blog|コメント(2)
次のページ »